毛泽东的诞辰日,中国的“圣诞日” |
送交者: 雷神 2009年02月08日13:32:23 于 [史地人物] 发送悄悄话 |
毛泽东115岁诞辰日,中国的“圣诞日” (常年妖魔化的结果,海外对毛泽东和他的中国缺乏正确的认识和了解,也几乎看不到毛诞日报道。所以主篇用日文写,帮助他们提高认识^_^ 敬祈指正) 铃兰台 2008-12-26 今天是已故的中国人民的伟大领袖毛泽东主席诞辰115周年。我在网上发现了这样一个纪念毛泽东的场所:中国共产党新闻 >> 党史人物纪念馆 >> 毛泽东>> 献花留言 我很震惊,12月26日这一日留言和鲜花就已经达到了45150条之多,尽管这是一位颇有争议的历史性人物,但是中国民间对他的深深怀念和敬仰正在与日俱增。 在中国,对毛泽东的这种缅怀和敬仰,远远超过了对于任何其他的政治人物。 在中国百姓的心中,毛依然是一位神,他的地位无人能够超越。中国的现状决定了人们对毛泽东的再认识。中国社会在取得巨大发展的同时,贫富差距在不断扩大、社会道德每况愈下、贪污腐败盛行到了百姓难以忍受的程度、社会整体的治安状况也不容乐观。时下中国,人们除了钱已经没有了任何正儿八经的信仰。随着信仰的丧失,人们越来越感到了精神的空虚和无助,尽管,在物质方面和毛的时代相比,确实有显著的进步。 中国,正在经历日本80年代经历过的从“安心社会”到“信赖社会”的转变。执政党相信,通过建立和健全法制系统,是能够建设成功一个“信赖的社会”的,党对这样的社会的提法是“和谐社会”。 然而民众发现,近几年来的情况表明,社会并没有变得更为和谐。很多人相信,欺诈别人能够给自己带来更多的好处,而人人又需要时刻提防,不被他人所欺诈。这样,整体氛围就构成一种社会性不和谐和不确定。人们油然回忆起了在毛泽东的时代,路不拾遗、夜不闭户,由于提倡和实施集体主义和利他主义以及社会集团的相对稳定,民众个人很少有什么不安,也无需担心整个社会存在什么不确定性。 今天,民众活得越来越空虚,他们不知道未来等待他们的会是什么。民众怀念毛泽东,因为民众相信只有毛才是在真心实意地为百姓谋福利,相信只有毛才在“全心全意为人民服务”,他从来没有“忽悠百姓”。“忽悠”是一个在中国频度极高的流行词,意思是说一套做另一套;嘴上讲为民,执行的结果却只是使得极少数人受益。中国是一个集权制度的国家,但民众并不固执地争辩到底是集权好还是民主好;民众认为,只要执政党的路线和政策是全心全意为绝大多数人们的利益着想,而非仅仅是在为少数人和集团的利益着想,就是好的。 人们怀念毛时代的政治清廉、怀念毛时代的道德力量和体现这种力量的社会平等和公正。人们怀念毛时代的社会保障体系和教育成就,以及低通胀和充分就业(终身雇佣制)。低通胀和充分就业也是凯恩斯主义所主张的宏观经济最佳目标,但在西方的实践中,很少看到能够同时实现这两个目标。 可以使用联合国开发的人类发展指数(HDI)等来定量描绘毛时代的中国在人类发展和经济建设中所取得的划时代成就,这些早已被妖魔化搞得面目全非。1950年,在毛刚刚建立新中国的时候,中国是世界上最落后的国家之一,其人类发展指数只有0.159(低于0.2的“最不发展水准”),人均寿命仅35岁,人均GDP只有区区25美元。到毛去世前后,中国的人类发展指数已迅速提升到了0.57(提升2.5倍),进入中等发达国家的行列即“中等发展水准”。这一方面得益于人均GDP的大幅提升,从25美元提升到了313美元(1980年,11倍多),更主要的,中国几千年来作为农业国,最重要的粮食问题在毛时代获得了真正的解决。 按照小岛丽逸教授关于饥饿的定义,可测算出毛泽东时代的中国已经从极端饥饿状态(人均粮食占有量209公斤,低于250公斤的“饥饿线”)转变到了温饱状态(人均粮食占有量300公斤以上),1979年,中国的人均粮食占有量甚至达到了349公斤,超过了改革开放以来一半以上的年份(例如,2003年,只有333公斤)。不仅如此,毛时代的中国建成了现代性的医疗体系,这带来了中国的人均寿命从约35岁到68岁的飞速提升。毛时代的中国建成了从幼儿园直到大学的现代意义上的并且是免费的教育体系,这个体系最直接的一个成就,是使得中国的文盲率从建国初期的超过85%飞速降到了24%。这些成就,在我国几千年的文明史上都是划时代的。改革开放以来的30年,中国取得了很大的发展,人类发展指数提升到了接近“高等发展水准”的 0.78,但就人文指标的整体(从人均寿命、脱贫速率、文盲率的下降、到人均GDP增长倍数等)的提升速度而言,并不如毛时代快。毛泽东时代所取得的社会进步和经济成就,绝非海内外宣传的那样微不足道,而是有着划时代的和奠基的意义。 时下金融不安、物价高腾,给大众的信心带来更大的打击,人们越来越感到虚脱,越来越感到不安。人们普遍认为,过去那种对别人完全可以放心的“安心型社会”已经一去不复返,人们彼此间缺乏信赖,企业缺乏诚信。 今年是中国放弃毛泽东路线,转轨到改革开放路线整整30周年,这是很值得纪念的。但纵观民间,似乎庆祝气氛并不浓厚。不能责怪民众没有觉悟,未来到底会是怎样的一个前景,民众普遍感到十分的茫然。倒是有众多的中国人没有忘记12月26日这个日子,他们自发地手捧鲜花,走进了位于天安门中央的“毛主席纪念堂”,自发来到了网络上的“毛主席纪念馆”,表达他们深深的怀念。有人提议把12月26日设立为中国的国家法定节日“人民节”获得了众多的附议,并且更多的人直接认为,应该把12月26日的毛诞日当作“中国的圣诞日”来过。人们是要以基督徒对待上帝般的虔诚来纪念毛泽东,纪念中国这位普渡众生的、划时代的人民领袖。
毛沢東115歳の誕生日で中国では“聖誕の日” 鈴蘭台(铃兰台) 2008-12-26 今日は、中国の偉大な指導者・亡き毛沢東主席の115周年誕生日である。私はネット上で毛沢東を記念するための場所を始めて見かけた:中国共産党ニュース >> 党の歴史人物記念館 >> 毛沢東>> 花捧げる掲示板 とても驚かせたのは、12月26日のこの日には毛主席にあげた伝言や花捧げは45150コにものぼる。これは、中国の一般大衆の心の中では、毛沢東というすこぶる論争をもった歴史人物に対する深い偲びと敬愛する気持ちは依然たるものを伝えている。 中国では、一般大衆はこのように空前に、鮮明かつ率直に政治人物に対し敬慕や懐かしさを吐露すること、毛主席以外は受けた人物はいない。中国の一般庶民また一部の知識人の心の中に依然、毛は神様だとされており、近代中国において彼の地位を抜け越す人がいると考えようもない。 これはなぜでしょうか。中国は、巨大な発展を得たと同時に、貧富の格差はますます拡大し、道徳現状は一段悪くなり、官僚階層においても止めぬ汚職や腐敗事件が大衆にとってもう我慢できない程度まで暴走し、また社会全体の治安状況も楽観許されない。いまの中国は、お金を除けばもういかなる信仰を持たず、物質の面では毛の時代に比べて確かに大きく前進したが、信仰喪失に伴って精神面において人々は寂しくて空虚さや無力感は社会全体に漂う。 まさにいまの中国は、かつての80年代には日本が経験した“安心社会から信頼社会へ”と転換している途中にあろうか?共産党は法的システムを構築または補完することによって、表現の仕方はべつだが、一つの“和諧社会”すなわち“信頼たる社会”が作上げることが可能と信じている。 しかしこの数年以来、明らかにわたっかのは、社会がますます“不和諧”状態になりつつある。人々は“和諧”できるを信じず、逆に巧みを凝らして他人を詐欺しなければ自分が利益を取れないことを信じ、個人的な詐欺がさらに大規模な集団的詐欺へ発展しつつ、不祥事も日常茶飯事になった。こうした状況に曝され、今もうだれでも自己利益を守るために詐欺を防がなければならない。なぜこうなったのか?法的手段は万能なのか?市場経済は社会の大多数にとって本当に福音か凶運なのか?このような不確実性が増大する一方で染められた社会雰囲気のもと、人々は過去の社会的集団性および利他主義に蔭を受けた安定さと安心さを懐かしく思うのは当然なことになる。毛の時代には、社会秩序が良くて、道で忘れ物を拾わず夜に戸締め必要もなく、民衆は不安を知らず、社会全体に不確実さがあるかどうかに関してまったくケアーする必要はない。つまり、圧力なく悠然たる生活を送ること、これは一般民衆にとってもっとも自然的で理想的な生活スタイルではないか。 ゆえに、人々は毛時代の社会の安定さ、政治の清廉さ・道徳性とそれを表す社会的平等さと公正さと、福祉国家の象徴である社会保障システムを偲でいる。人々は毛時代の社会教育の業績およびインフレ抑制のもとでの充分就業(終身雇用制度)を偲でいる。このインフレ抑制のもとでの充分就業とは、実際ケインズ主義が提唱したマクロ経済の追求目標であるが、その両立にあたって度々失敗するものであった。 一つ時代の進歩を数値的に表すには国連が開発した人的開発指数(HDI)などが用いられる。新しい中国(中華人民共和国)が始まったときは、中国のHDIはわずか0.159、平均寿命は35歳、一人あたりGDPは25ドルで、世界中ではもっとも酷い状況であった。対して日本はそれぞれ0.45、55歳と330ドルであった。毛の時代とは1950年から1978年までという比較的みじかなスパンで、HDIは0.57で2.5倍増、平均寿命は68歳で34歳増、一人あたりGDPは1980年の303ドルで11倍増となった。毛がなくなった時、中国は“中等発展途上国”の仲間入りが果たせ、主な要因には、1人当たりのGDPの画期的な上昇だげでなく、小島麗逸教授の定義を用いれば、一人当たりの食糧保有量に関して、1950年代の極めて“飢餓”な状態(1人当たり210キログラムあまり)から“満腹”できる状態(1人当たり340キログラム)までに達し、それに加えて近代的医療システムの構築によって、中国人の平均寿命は34歳にも上げた。それだけてなく、幼稚園から大学まで完全無料、こうした現代的教育システムを構築することによって、中国の非識字者率は1950年以前の85%を上回った状態より24%まで画期的に下った。これは中国数千年の文明史においても画期的なものであった。改革・開放政策推進以来の30年間わたっては、HDIは0.78で1/3増、平均寿命は72歳で4歳増、一人あたりのGDPは2000ドルで6倍増、非識字者率は25%減など、多きな成功をあげてきた。 しかしこれらの業績を成長率から対照的に見れば、毛の時代よりも凄いものとは言い難い。毛の時代で中国が得た社会進歩および経済成功は、決して海内外の宣伝しているような小すぎるものではなく、画期的なものであった。 金融不安・物価高騰のさなかで、一般大衆の不安が一段深刻化となった。彼らの認識では、この不安をもたらした原因は経済的なものではなく、政府や官僚と資本所有者等が行った利益剥奪に主因がある。したがって社会格差が政府の論調とまったく逆行した形で拡大しつつある。 人々は毛沢東をしのぶのは、彼がつねに強勢グループを挫け、“誠心誠意人民に奉仕”(“全心全意为人民服务”)し、つまり誠心誠意で人民の利益しかはからないことを一貫し徹底していたこと。近年の中国では、“忽悠百姓”という流行語がはやっている。この“忽悠百姓”とは、誠心誠意とは真反面に口だげで庶民利益を護ろうと絶えずに唱えるものの、実際に行った結果、少数強勢グループのみが恵まれる。中国は専制集権国であるが、一般民衆の認識のなかには、専制か民主かどうでもよく、人民の利益のための政治路線と政策だけが認められる。 今年は中国が毛沢東路線を放棄した改革・開放路線を遂行してから30周年という記念すべき年である。民間の気分はどっちかというと祝う雰囲気が薄い。それにしても、亡き32年にも拘らず、多くの人々が12月26日という日を忘れなく、自発的に花を手にあげ、天安門の中央に位置する“毛主席記念堂”に入ったり、自発的にインターネット上の“毛主席記念館”に来たりして、心のこもった懐かしさを表す。人々は、12月26日を国家祝日の一つとして“人民節”を設立すべしと提言し、さらに多くの人々は12月26日この日を中国の“聖誕の日”と見るべき、キリストのイエスに対するような敬虔さをもって毛沢東主席を記念したい。 |
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